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ウーロンが旅立ってから、半年以上経ちます。
その死を受け入れるということが、どういうことなのかわからなかったけれど、
最近、わかってきたような気がします。
ウーロンの死も、その悲しみも、
後悔や懺悔の気持ちも、感謝の気持ちも、
すべて私の一部分になっていくことなんだなーと。
最近つくづく、ウーロンは本当にいなくなっちゃったんだなと思います。
外出先から帰るとき、「家に帰ってもウーロンはいないんだな」と思ってしまいます。
家に居たらいたで、逆にウーロンが見えるようです。
ワンゴハンの支度をしていると、クルクル回りながら待っているウーロン。
日向ぼっこしているウーロン。
掃除を邪魔するように眠るウーロン。
「ウーロンは何でいないんだろう?ウーロンは死んじゃったからだ」これを1日中頭の中で繰り返していたころの、"あと1度だけでいいからウーロンに会いたい"よりも
その死をほぼ受け入れつつある状態での"ウーロンに会いたいな"の気持ちは癖が悪い。
"ごめんね"の数が減ることはないけれど、
「ありがとね、ウーロン」の気持ちは日増しに強くなります。
1番の"ありがとね"は
「私の最初のワンコでありがとね、ウーロン」です。