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病院でのあらら・・・

タイトルの「あらら・・・」って私の「あらら・・・」です。
決して病院の「あらら・・・」ではありません。

この前の「もしや再発」っていくら葉状腫瘍でもそんなに早くは・・・
って感じもしますが、これには理由があったのです!(キリッ!!!)
あくまでも私の場合ですが、腫瘍は日々コンスタントに成長していたわけではありません。
ある時、グッと成長するんです。
今年の年が明けるころには、「この感じは・・・来週あたり大きくなるなー」とわかるようになっていました。
手術の前の週、その"もうすぐ大きくなる"という感覚というか感触というかがあったんです。
もし、手術が予定されていなかったら、ワンサイズ大きいブラジャーを用意するところでした。
なので、執刀医の里見先生が「腫瘍+1センチと言っていましたが、2センチになります」とおっしゃったとき、
これだったら、大丈夫よねーと少しだけ安心したのでした。
そんなことがあったのでね、再発に関してちょっと神経質になっていました。
まー、今となっては「あらら・・・やっちゃった」と笑えますが・・・。

私の周りにも、胸の手術をした人が何人かいます。
その中の、ハス子さん(私に病院行きを決心させた人)は同じ病院で数年前に手術を受けたということもあり、
事前にいろいろ話を聞いていました。
「術後、酸素マスクを外していると怒られる」と教えてくれたのもハス子さんです。
この話には続きがあり、
私を担当してくださっているカーター先生が酸素マスクを外しに来てくれた時のこと、
「お水を飲んでみる?」と私の目の前にコップを置いて言いました。
「目は覚めているけれど、麻酔は体の中に残っているから、むせるといけないから少しずつ飲んで」と。。。
心の中で笑いが止まりません。
"酸素マスクを着けてるってそういうこと?"
これをハス子さんに話した時、アラフィフ2人の感想、
「もう、やだー!知っていたら外さなかったよねー」です。

そして、ハス子さんと手術の話になります。
いきなりハス子さん、「手術の時のベッドって巾が狭くてびっくりしなかった?」
私「したよー!だから聞いたよ!手術中大きな地震があったら、私落ちたりしませんか?」って。
ハス子さん「えーーー!聞いたの?」
私「聞いたよ!自分の命を丸ごと預けている時間のことだもん」
ちゃんと体は固定して、手術によってはベッドごと傾けたりもするので、絶対に落ちないんですってよ。
聞いて良かった。

手術をした日の夜は細切れに浅い眠りを繰り返していました。
同じ看護師さんが頻繁に来てくださり、その無駄のない動きを見ているだけで安心したのを覚えています。
ただ、不思議なことにこの看護師さんの顔を全く覚えていません。
会話もしたのになー、なんでだろうなー。
P7155140.jpg

目が覚めているときは、タオルケットを体の下に入れたりして、軽い寝返りを試みました。
ずっと同じ姿勢だったので腰がいたくてねー。これはうまくできなかった。
次にしたことは、足ポンプで膝下から足首まで覆われていて暑かったので、足の指を表に出すことに挑戦していました。
履かせられていた靴下は、足の指の付け根の部分に穴が開いていたので、そこから足の指を出そうと奮闘していました。
手は使えないから足の指を使って。きつめの生地だったので苦戦しました。
こんだけ足を動かせるんだから、このポンプ外してくれよーと夜中にブツブツ言っていました。

足の指が自由になった後は手を動かす練習です。
手術をした側の右手をベッドの上で脇から90度の位置に持っていっただけで、
脇の下が張ってそれ以上あがらなかった。
何度も挑戦したけれど、どうしても動かなかった。
別の病院の話だけれど、
手術翌日看護師さんが来て「今日の私は鬼です」と言い、
手術した側の腕を力づくで真上に上げさせたそうで・・・
私は夜中に「明日、鬼が出る・・・鬼が出る・・・」と上がらない手を悲しく眺めていました。
グリーン病院の看護師さんは鬼にはならなかった。(ホッ♪)
腕はちょっと張るくらいのところでまでで、無理はしなくて大丈夫って言ってもらいました。

そんなことを一晩中していたせいなのか、
それとも、体の中に残っていた麻酔が完全になくなったせいなのか、
手術前に苦しんでいた頭痛が翌日に復活し、
術後の痛み止めとしてもらっていた薬を飲み、
アイスノンを借りてひたすら眠っておりました。

私の場合は、術後の痛みというのは全くって言っていいくらいありませんでした。
というか、いまだに傷跡のほとんどの部分は、神経が麻痺していて何も感じません。。。
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乳房全摘手術・・・心の受け入れ

葉状腫瘍のため、右胸の全摘手術を受けました。

入院前に、看護師さんたちに渡す書類の中に、
「今、つらいことは?」の質問がありました。
術後の姿は写真で見せられていましたが、それが自分に・・・となると想像できませんでした。
なので、
「術後の自分の姿を受け入れられるかどうかがわからず不安です」と書きました。

術後、4日間入院していたんですが、
その間のスケジュールに"看護師と一緒に傷を見る"というのがありました。
私、拒否しました。「見ることはできません」と言いました。(なんか、涙が出てきた)
その後も、直接的ではないのですが、"傷を一緒に・・・"って感じの時があって。。。
看護師さんに言いました。
「私は今、面白い話には笑えるし、テレビを見ても楽しめる。
でも、無理に傷を見ようとそこに一生懸命になると、今楽しめることも出来なくなるかもしれない。
いずれ受け入れなくてはならないものは、歴然とここ(胸ね)にあるから、いつかは・・・。
自分のペースで受け入れていきます」
結局、退院まで、見ることは出来なかったです。

"見ることができない"のは今に始まったことではありませんでした。
3月ごろからしこりが胸の形を変えていくにつれ、
お風呂でも怖くて胸を見ずに過ごしていました。

退院してもお風呂でも自分の胸を見ることができず、
泣きながらお風呂に入っていました。
でも、"早く受け入れなくちゃ"という焦りは全くなかったです。
「今は仕方がない」という気持ちで過ごしていました。
手術後は感覚が麻痺しているところや、痺れているところ、
それに腕が自由に動かないということがあったので、
手が自由に動くようになってから…・。お風呂に入っても泣かなくなってから…。
傷を見るのはその後でもいいんじゃないか・・・と思っていました。

退院してから3日後に、病院の外来で傷を見てもらう日がありました。
病院から帰って家に入り、声を上げて泣きました。
声を上げて泣くなんて、ウーロンが逝ってしまって以来でした。
その日のお風呂でも涙が出てきました。
といっても、お風呂から上がってドライヤーをかけるころには、さっきは泣いちゃったねーって感じでいました。

その翌日の朝のワン散歩が終わり、ヤムのブラッシングをしている時のことでした。
なんとなく、胸に違和感を感じ服の上からその場所を触ってみると・・・、
プクっと膨れているではありませんか。
その途端、傷を見るのが怖いとかこの姿を受け入れられないだのなんだの・・・
そんなことどうでもよくなりました。
すぐに傷跡も含め膨れているところを確認しました。
ちょうど膨れているところは、傷の上からテープを貼られている場所と重なっており、
触れてみても、そこにしこりのように固いものがあるかどうかがわかりません。
ネットで葉状腫瘍の局所再発を画像で公開している人がいるので、
その画像と自分の膨れているところを見比べてみる・・・んー、わからない。

その時の心境は・・・
私、生きなくちゃ!!!
2年後にはムーミンのテーマパークに行くのよ!
ヤムと新米をちゃんと看取るのよ!
看取った後、ペットロスになって苦しんで、
涙を浮かべながらも笑顔で思い出せる日が来るまで頑張るのよ!!!

そして、戦闘態勢に入りました。
再発だったら、また切ってもらおう!
浣腸も頑張ろう!
やっぱり、あの経口補水液は飲めないだろうから、なにを飲んでも良い時間のぎりぎりまでお水とソルティーライチをガバガバ飲もう!
手術室に入ったら、今度は「手を握ってもらってていいですか?」とお願いしよう!
えー、それと、手術後の病室ではおとなしく酸素マスクを着けていよう!
(酸素マスクが邪魔でねー。以前、入院していた人がこの酸素マスクを外していたら、
先生に取っちゃだめだよー!と怒られたそうで。
私はばれないように外していました。んー、でもね、酸素飽和度に異常はなかったと思うんだけどなー)

数日後の通院の日、傷を見てもらいました。
そして、気になるところを先生に話しました。
先生の「悪いものではありませんよ」に涙が止まりませんでした。
悪いことへの覚悟は頑強なまでにしていたのにね。
泣いているのを謝るしかありません。
「すいません。怖かったもんで」
すぐに看護師さんが手を握ってくれて、
「気持ちはよくわかりますよ」と優しく言ってくださいました。
そっか・・・これからは無意識でもこの恐怖が私の中にあるんだな。。。と思い知らされました。

でも、この再発かも!?騒ぎのおかげで、
私は自分が思っていたよりもずっとずっと早く傷跡を見ることができました。

今は、お決まりのようにお風呂で泣くことはありません。
それでも、時々、ふと涙が出てきます。
なんの涙かは自分でもよくわかりません。
去年の秋くらいに気付いた胸のしこりの不安から
病院行って、手術になって。。。
やっぱり、今は泣いちゃっても仕方がないのかなーと思います。

でも、大丈夫です♪
P7175142.jpg
こんな画像も貼れちゃいますから(^^)

手術

この手術は私にとって2度目の手術です。

最初の手術は10年以上前、卵巣の摘出手術でした。
夜中に病院に運ばれての緊急手術でした。
ヘベレケになるくらい強い鎮痛剤を打たれていたので、私は落ち着いたもんでしたが、
手術前にアレルギーの検査やら、心電図やら、お医者さんが「○○さん呼び出して」とか、
病院の人は忙しく動いていました。
手術室に向かうとき、私は歩ける状態ではなかったのでベッドのまま運ばれました。
手術室に入ると、診察室で忙しく動いていた人々が整然と並んで私を迎え入れてくれました。
その時の手術室のイメージは真っ白。
看護師さんがにこやかに「先ほどもお会いしましたね」と話しかけてくださいました。
緊張していたのかなー、私は何も返せませんでした。
麻酔の先生が「先ほども説明したけれど、これから麻酔の薬を点滴のところから入れるからね」と言い、
それと同時に、私の右側にいた看護師さんが私の手を両手でギュッと握ってくれました。
目が自分の意思とは関係なく閉じていきました。
その後、ほんの一瞬ですが意識がありました。
真っ暗な闇に落ちていく感じがして、
看護師さんの手をギューーーっと握り返したのを覚えています。
あの看護師さんの手は今でも覚えています。
あの手がなかったら、とても怖かっただろうなーと。一瞬のことなんですけれどね。
P7145135.jpg


今回は・・・歩いて手術室に向かいました。
1つ目のドアを抜け、2つ目のドアに入る直前に、手術を受ける場所の確認がありました。
これが念入りでした。まず私に「手術の場所は?」と質問が来て、私は「右胸」と答え、私の右手の甲に油性ペンで〇印、右足の甲にシール。
その部屋に入ると、数人の人が自分のお仕事をしています。
私はその部屋にある、巾の狭いベッドに寝かされました。
わたしは、この部屋は手術室に向かうための準備室だと思っていたんですが、
両手を左右それぞれ固定されてしまい、
私は「ここで手術するんですか?」と驚いて質問しました。
答えは「YES」だった・・・。なんか、衝撃だったなー、あの時。
その後すぐに私の口と鼻の近くにマスクが近づいてきました。
内心、「あー、こっちか・・・。薬を入れられるほうがいいのに、このマスクで覆われると苦しんだよなー」と
恐怖で呼吸が浅くなっていると、
「ウーロンママさん!深呼吸してくださいね」と言われてしまいました。
結果的には、マスクをピタッと顔につけないでいてくれたので、部屋の空気も一緒に吸うことができ、
苦しいことはありませんでした。(ホッ)
だんだん眩暈がしてきて・・・目が閉じるーってときに、
私は右側にいた人の手をガシっと掴み握りしめました。
私にはどうしてもギューッとする手が必要でした。
こういう時、病院の人って落ち着いているんですね。
穏やかに「大丈夫ですよ」と声をかけてくれました。
麻酔で意識がなくなる前に、私にはもう1つやらなくてはならない大切なことがありました。
手をギューッとしながら、3回唱えました。
「ウーロンに会えますように。ウーロンに会えますように。ウーロンに会えますように・・・」

「ウーロンママさ~ん!」「ウーロンママさ~ん!!」の声が聞こえ、
目を開けると、目を閉じる前に見た手術室のライトが2つ見えました。
「あー、手術が終わったんだ」と思ったのと、
「ウーロンママさ~ん」に答えようと、「はい」と返事をしたくてもなぜか声が出ませんでした。
あの時、まだ、呼吸器が入っていたのかな?
次に気が付いたのは、口の中を機械で吸われているときでした。
(歯医者さんで歯を削った後、口の中をきれいにしてくれる機械みたいのね)
目を閉じながら慌てました。
歯医者さんでは「あまり奥にしないでください。オエッてなっちゃうんで・・・」って言ってるんですが、
この病院の人はこのことを知らない。。。
この機械から逃れようとすると、無意識に嫌がっていると思われて、
また、「ウーロンママさん!!!」と言われる。
続けて、また口の中に機械が入ってきて、上あごの柔らかいところに機械がペコっとくっついてしまいました。
絶対に吐く!!!と思ったんですが、何ともなかったです。

その後、病室までの記憶なし。。。
目をつぶっていたけれど、耳はやけに敏感でした。
ボノボさんが「手術は成功ですか」って医師に問いかけていたのもわかってました。
心の中で、「おいこら!この手術で失敗って・・・ないよね」なんて思っていました。
看護師さんが私の右手にナースコールを握らせて
「ウーロンママさん!ナースコールを持っていてくださいね」って言って部屋を出て行きました。
医師も看護師もいないことがわかり(目をつぶっていたけれどね)、
すぐにナースコールをポンと手から放しました。アハハ♪

ところで、私は手術中ウーロンに会えたのかな?
会えたんだったらいいなー。

手術の日

葉状腫瘍の摘出手術を受けたんですが、
手術の前後が辛かった。

たしか、手術の前日の夜9時からある経口補水液以外口にしてはいけないと言われていました。
しかも、経口補水液を1リットル、翌朝(手術日)の11時(だっけな)までに飲まなくてはいけないのでした。
夕食後、浣腸されて本当につらかった。倒れる寸前でした。いや、倒れました。意識はありました。
でも、看護師さんが部屋に入ってくるまでには無事回復しました。

こんなことがあったから、夕飯を食べ終わった後、何も水分を口にする気になれず。
それでも私は「9時過ぎて喉が乾いたら、経口補水液を飲めばいいのね」と気楽に考えていました。
9時消灯で9時半くらいに喉が渇いたので、例の経口補水液を1口・・・。
「えっ!?何これ?」
私にとってはほとんど塩味でした。はっきり言って飲めたもんじゃーありません。
飲むほどに喉が渇くんじゃないか!って感じです。

手術当日の朝には「あー、喉が渇いたー」。
経口補水液1リットルのノルマがあるから、頑張って飲んでみる→やっぱり無理だ!。
朝ごはんも抜きだし、ただ水が飲みたいだけなのにそれもダメだし、やさぐれモード丸出しの時に、
人の良さそうな顔した長身の先生が点滴をしに来ました。
「右が手術をするほうだから、左手に点滴ね」と言われ、先生が点滴の針を入れようとしている間、
私はずっと、その経口補水液の話を先生にしていました。
「何の罰ゲームですか!ってくらいまずいですよね」
先生も「そうだよねー。まずいよね。これしか飲めなかったら脱水症状起こしちゃうよね」
というので、「私1リットルなんて飲めません!」というと、
「大丈夫♪点滴入れてるから、無理しないで♪」と言いながら部屋から出ていきました。
この時点で、飲めたのは100ミリリットルくらい。これ以上は飲みませんでした。
P7155136.jpg


そして、悪いことにお昼近くになって、なんとなく頭が痛いような・・・。
今日だけは頭痛は来ないで!と思っていたのに、だんだん痛みが強くなり、
喉は渇いてるわ、頭痛だわ、手術前に最悪の気分。
ここでの私の唯一の救いは、"全身麻酔"でした。
喉も頭も全身麻酔で一気に忘れられる、これだけ考えていました。

午後2時になり、「そろそろ手術室へ」となり、
メディキュットみたいな靴下を履かせられ、いざ手術室へ!!!

長くなったので、この辺で。
次は、「いざ、手術」だわ。


ただいま

実は、私、手術を終えまして退院しております。

6月のある日、病院から、
「ウーロンママさんの手術を6月某日に行いたいと思います。前日から入院できますか?」と電話が入りました。
手術は7月と聞いていたので焦りまくりでした。
この電話の前までは、土用の丑の日は家にいたいなーなんてのんきな私でした。

入院の準備は・・・
まずは、ヤム&新米を動物病院に預ける手配。(これ1番重要)
というか、これしか準備しなかったような・・・
足りないものは入院してからでもどうにかなると思っていたので。
そーだ、そーだ、生協さんとヤクルトさんももストップしたんだった。

入院の前日の私は、「明日はベッドに寝ているだけで暇に違いない。
思いっきり夜更かししとこー」と録っておいたドラマを見まくりました。
これが大間違い。
手術を翌日に控えた入院ってのがこんなに忙しいなんて・・・。

朝、病院に行き、病棟に案内され、名前が呼ばれるのを待ったんですが、これが長かった。
どうやら、同じ日に入院する人が多い日だったらしい。
結局、午前中いっぱい待ち、お昼を普通にボノボ(ダンナ)さんとレストランに食べに行き、
怒涛の入院初日生活は午後1時過ぎくらいからスタートでした。

1時過ぎに手術の説明ということになり、
このグリーン病院で最初にお会いした先生、里見先生の話を聞くことになりました。
この席には、里見先生の言う"ほぼ医者"の若い男性も同席していました。
このほぼ医者先生は仲間内から、"アントニオ・バンデラス"って呼ばれているに違いない。そっくり♪
(たぶん)この時、グリーン病院の先生から「全摘」という言葉を初めて耳で聞きました。
手術後の状態を写真では見せられていたので、寝耳に水というわけではありません。
私のレントゲン写真のようなものを見せられながら、説明が始まったんですが、
最初は、この腫瘍を取りきるために腫瘍+周囲1センチを切除と言っていましたが、
今までの検査結果で良性ではないものも含まれていたため、周囲2センチの切除になりました。
(このあたりのことが要因で、手術を早めたようです)
レントゲン写真の端にメモリがあって、1メモリが1センチ。
だから、この腫瘍+2センチだと全摘になるのはわかるね?と確認されました。
ボノボ(ダンナ)さんはどうかわかりませんが、
私は、病気の部分は先生方にお任せ!と決めていたので、
何を言われても、動揺はありませんでした。
その後、里見先生は私に以前見せた、全摘手術後の写真を見せようとするので、
私は隣にいたボノボ(ダンナ)さんに「大丈夫?」と聞きました。
里見先生とアントニオほぼ医者先生は「なんで患者が大丈夫って聞くんだ!?」と思っていただろうな~。

お花畑な私の脳内で里見先生に質問していました。
私の写真では、腫瘍+2センチだと全摘だ!
もしも、私の胸が大きかったら温存ができたのかしら?

そんなことを考えていると、
この里見先生はまじめなのか・・・人と接するのに不器用な部分があるのか・・・
「私が得意な手術は温存手術です」と何回も繰り返す。
本当に何回も温存手術の写真を見せながら、「私が得意なのは温存です」と。
これには私の脳内も「先生!お願いだから全摘も得意だと言ってくれろ」となりました。

先生の手術の説明を聞いた後、今度は麻酔の説明を聞きにまた別の建物に移動となりました。
その後、手術後はしばらくシャワーができないからとシャワーを浴び、
やっとパジャマ姿になり、ベッドでホッとしていると、
この病院で1番多く話している先生、カーター先生が来てくれました。
1番多くといっても、里見先生はこの日で2度目。カーター先生は4度目くらいかなー。
それでもやはり、カーター先生が来てくれるとホッとしました。
最初の「おいおい!こんな若くて大丈夫か!?」と思ったことを深く反省。

それから、夕ご飯。
そのあと待っていたのは・・・浣腸でした(-_-;)
(ご飯食べさせて浣腸なんて・・・なんて無駄なことを。絶食でもOKだったのに)
同じ病院で手術をしたハス子さんに聞いてはいましたが、
・・・辛かった・・・。
まじで、腫瘍じゃなくて浣腸に殺されると思った。

次の日はいよいよ手術です。
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家族構成
☆ウーロンママ
☆ボノボ(ウーロンママの夫)
  時にヤムのOTTOになる 
 
☆我が家のワンコたち☆

ウーロン(♀)14歳9か月で
平成25年11月21日旅立つ
我が家のトップドッグ

「めざましテレビ」
~きょうのわんこ~出演
わんこ№2208



ヤム(♀)9歳10キロ
鼻にしわを寄せ、
牙を見せながらも
ヘソ天する不思議なコ。
とても弱虫



新米(♂)7歳18キロ
1番怖いのは
ウー姉ちゃんサマ(ウーロン)。
ヤム姉ちゃんは怖くない
意外にお調子ワン

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